2007年02月18日
終わりは始まり
終わりは突然やってきた。
それはあまりにもあっけなく、
そして儚く散っていった。
もしかすると終わらせない努力ができたかもしれない。
でもそれは終わってみて始めて気付くこと。
これを後悔と言うのだろう。
でも、後悔は前に進むことを妨げる。
だから後悔はしない。
後悔を前に進む原動力にすればいい。
「終わりは始まり」
戦友と夏にそう誓ってから半年が経った。
その意味が今になってようやくわかった気がする。
終わりを受け入れること。
それは決して簡単なことではない。
けれど、その「終わり」には必ず意味がある。
だから次にスタートできる。
私の夢、それはまだ始まったばかり。
叶えるまでは終わらせない。
自分を信じて・・・

@kachidokibashi
それはあまりにもあっけなく、
そして儚く散っていった。
もしかすると終わらせない努力ができたかもしれない。
でもそれは終わってみて始めて気付くこと。
これを後悔と言うのだろう。
でも、後悔は前に進むことを妨げる。
だから後悔はしない。
後悔を前に進む原動力にすればいい。
「終わりは始まり」
戦友と夏にそう誓ってから半年が経った。
その意味が今になってようやくわかった気がする。
終わりを受け入れること。
それは決して簡単なことではない。
けれど、その「終わり」には必ず意味がある。
だから次にスタートできる。
私の夢、それはまだ始まったばかり。
叶えるまでは終わらせない。
自分を信じて・・・

@kachidokibashi
2007年02月10日
ダメなとこ
みなさんは自分のだめなとこ言ってくれる人が何人いますか?
人は面と向かって相手の悪いところは言わないもの。
それって人としての優しさとか思いやりとか
時に弱さでもあって
穏便な人間関係を築くためには
言わなくてもいいことなのかもしれない。
でも、本当にその人のためだって思ったら
相手のだめなとこを言ってあげるのも大切なことかもしれない。
勇気もいるし、相手を傷つけてしまうことになる。
それでも言ってくれる人。
その存在を大切にすべきだと思う。
自分のことは一番自分がわかっていない。
だから他人の意見は自分を映す鏡になる。
「ダメなとこ」
それを言われて素直に直すのか、
そんなんじゃないって突き放すのか
それは自分次第。
でも、相手が勇気を出して言ってくれたこと。
それは忘れちゃいけない。
あなたのダメなとこはどこですか?
思い切って一番大事な人に聞いてみては?
※あなたがもし誰かの「ダメなとこ」を言う時は
くれぐれも言い方と言う相手にはお気をつけて・・・
・言い方の誤解
・言う相手の性格
・当人以外に言ったらそれは陰口になりますので・・・
ご注意を・・・
人は面と向かって相手の悪いところは言わないもの。
それって人としての優しさとか思いやりとか
時に弱さでもあって
穏便な人間関係を築くためには
言わなくてもいいことなのかもしれない。
でも、本当にその人のためだって思ったら
相手のだめなとこを言ってあげるのも大切なことかもしれない。
勇気もいるし、相手を傷つけてしまうことになる。
それでも言ってくれる人。
その存在を大切にすべきだと思う。
自分のことは一番自分がわかっていない。
だから他人の意見は自分を映す鏡になる。
「ダメなとこ」
それを言われて素直に直すのか、
そんなんじゃないって突き放すのか
それは自分次第。
でも、相手が勇気を出して言ってくれたこと。
それは忘れちゃいけない。
あなたのダメなとこはどこですか?
思い切って一番大事な人に聞いてみては?
※あなたがもし誰かの「ダメなとこ」を言う時は
くれぐれも言い方と言う相手にはお気をつけて・・・
・言い方の誤解
・言う相手の性格
・当人以外に言ったらそれは陰口になりますので・・・
ご注意を・・・
2007年02月09日
生きてるってこと
最近よく見る景色。

@kachidokibashi
今日は夜に来てみた。
なんかここに来ると
人生って何だろうとか、
幸せってなんだろうって
考える。
それがなんだか心地よくて、
生きてるって実感する瞬間。
2007年02月07日
2007年02月06日
絆
この広い世の中で
一生出会わない人は何億人いるのだろう。
しかし、人は出会い、
もともとどこのだれかもわからない人が、
かけがえのない存在になることがある。
だから人と人の出会いは面白い。
全ては偶然が引き合わせた必然で
必ずひとつひとつの出会いには意味がある。
その意味を見出せるかは自分次第。
「想いを共有すること」
それは言葉でいうほど簡単なことじゃない。
人はそれぞれ自分のバックグラウンドを持っていて
100人いれば100通りの価値観がある。
それでも、人は想いを共有できる。
同じ目的に向かって、
自分の想いと相手の想いを時にぶつけ合いながら
受け入れ、受け入れられながら想いを共有し合っていく。
そうやって想いを共有できた相手との絆は
簡単に途切れることはない。
出会いはそんな絆を生み出すきっかけになる。
だからもっともっと外に出て、一人でも多くの人に出会いたい。
そして一人でも多くの人との絆を大切にしていきたい。
論理的に、冷静に物事を捉える人
いつもおだやかで場をなごませてくれる人
客観的な目を持ちストップといえる意思の強い人
いつもまっすぐで筋がびしっと通った人
自分の感性とこだわりを大切にする人
そんな一人ひとりの想いがひとつになって
大きな力となった。
そこには大きな意味がある。
彼らと離れて4日が経った。
今どうしているのだろう・・・
なんて思っているのは私だけ?
なんだかみんなが思ってそうな、
そんな予感。
一生出会わない人は何億人いるのだろう。
しかし、人は出会い、
もともとどこのだれかもわからない人が、
かけがえのない存在になることがある。
だから人と人の出会いは面白い。
全ては偶然が引き合わせた必然で
必ずひとつひとつの出会いには意味がある。
その意味を見出せるかは自分次第。
「想いを共有すること」
それは言葉でいうほど簡単なことじゃない。
人はそれぞれ自分のバックグラウンドを持っていて
100人いれば100通りの価値観がある。
それでも、人は想いを共有できる。
同じ目的に向かって、
自分の想いと相手の想いを時にぶつけ合いながら
受け入れ、受け入れられながら想いを共有し合っていく。
そうやって想いを共有できた相手との絆は
簡単に途切れることはない。
出会いはそんな絆を生み出すきっかけになる。
だからもっともっと外に出て、一人でも多くの人に出会いたい。
そして一人でも多くの人との絆を大切にしていきたい。
論理的に、冷静に物事を捉える人
いつもおだやかで場をなごませてくれる人
客観的な目を持ちストップといえる意思の強い人
いつもまっすぐで筋がびしっと通った人
自分の感性とこだわりを大切にする人
そんな一人ひとりの想いがひとつになって
大きな力となった。
そこには大きな意味がある。
彼らと離れて4日が経った。
今どうしているのだろう・・・
なんて思っているのは私だけ?
なんだかみんなが思ってそうな、
そんな予感。
2007年02月05日
2007年02月03日
母子病棟
今日は胸が締め付けられるような映像を見た。
テレビ朝日で7時から放送されていた番組。
難病を乗り越える親子の話。
あまりにも残酷な現実に思わず目を伏せてしまいそうで
何度もチャンネルを変えようとした。
でも、この番組が伝えたいこと、
この番組を放送する意味、
それをこの目でしっかり見たいと思った。
当たり前のことが当たり前でない現実・・・
番組が終わったとき、涙が止まらなかった。
子供は親を選ぶことが出来ない。
親もまた子供を選ぶことが出来ない。
全てが与えられた運命で、
逆らうことはできない。
私の小学校にはダウン症の男の子がいた。
ダウン症は、染色体が通常より1本多いことにより
知的発達の遅れや、心疾患などの合併症を伴うことものある先天性の症候群。
その彼のお母さんが言った言葉を私は今でも覚えている。
「神様は私たちに乗り越えられない壁は与えない。
私達は神様に選ばれてこの子が与えられたのよ。」と。
そう言ったお母さんはとても優しい目をしていた。
あれからもう、10年が経った。
彼は今どうしているのだろう・・・
人は時間が経つといろんなことを忘れてしまう。
あの時感じた彼への思いは
今では色あせて、
私はまた「障害」とは無関係な場所で何不自由なく生きている。
本当にこのままでいいの?
私は最近また「障害」について考える機会が会った。
ある少女が流した涙を、
とまどいながら、一瞬どこかでナナメに見てしまった自分が
すごく嫌になった。
弱いものの立場に立つこと、
それをどうして素直に応援できない自分がいたのだろう。
「キレイゴト」
「偽善」
「表面的」
「建前」
「他人事」
そんな言葉で片付けようとしている自分がそこにはいた。
そして今日、この番組に出会った。
決して偶然なんかじゃない。
私に与えられたこと、それは私にできること、
いや、私にしかできないことなのだ。
その方法がなんなのか、すぐに見つけ出すことはできないかもしれない。
でも、少しずつでもいいから、
私ができる精一杯の努力をしたいと思った。
すべてのひとの心に輝きを・・・
テレビ朝日で7時から放送されていた番組。
難病を乗り越える親子の話。
あまりにも残酷な現実に思わず目を伏せてしまいそうで
何度もチャンネルを変えようとした。
でも、この番組が伝えたいこと、
この番組を放送する意味、
それをこの目でしっかり見たいと思った。
当たり前のことが当たり前でない現実・・・
番組が終わったとき、涙が止まらなかった。
子供は親を選ぶことが出来ない。
親もまた子供を選ぶことが出来ない。
全てが与えられた運命で、
逆らうことはできない。
私の小学校にはダウン症の男の子がいた。
ダウン症は、染色体が通常より1本多いことにより
知的発達の遅れや、心疾患などの合併症を伴うことものある先天性の症候群。
その彼のお母さんが言った言葉を私は今でも覚えている。
「神様は私たちに乗り越えられない壁は与えない。
私達は神様に選ばれてこの子が与えられたのよ。」と。
そう言ったお母さんはとても優しい目をしていた。
あれからもう、10年が経った。
彼は今どうしているのだろう・・・
人は時間が経つといろんなことを忘れてしまう。
あの時感じた彼への思いは
今では色あせて、
私はまた「障害」とは無関係な場所で何不自由なく生きている。
本当にこのままでいいの?
私は最近また「障害」について考える機会が会った。
ある少女が流した涙を、
とまどいながら、一瞬どこかでナナメに見てしまった自分が
すごく嫌になった。
弱いものの立場に立つこと、
それをどうして素直に応援できない自分がいたのだろう。
「キレイゴト」
「偽善」
「表面的」
「建前」
「他人事」
そんな言葉で片付けようとしている自分がそこにはいた。
そして今日、この番組に出会った。
決して偶然なんかじゃない。
私に与えられたこと、それは私にできること、
いや、私にしかできないことなのだ。
その方法がなんなのか、すぐに見つけ出すことはできないかもしれない。
でも、少しずつでもいいから、
私ができる精一杯の努力をしたいと思った。
すべてのひとの心に輝きを・・・





